各児童・生徒に「授業においての目標」が有ると、授業は良い雰囲気になる。
だが、教室は一つで、彼らの受けられる授業もまた一つである。
一人一人が望む「知識」を授業時間内に全て渡すことは難しい。
翻訳家になりたい。
通訳者になりたい。
ビジネス文書を英語で書きたい。
外国人の友達とSkypeで話したい。
洋書を読みたい。
洋楽を理解したい。
洋画を字幕なしで見たい。
授業内容、先生の指示をきちんと理解したい。
無難な成績が欲しい。という思いも勿論「目標」だ。
しかしながら、鍛えるべき「力」は、身につけるべき「知識」は、児童・生徒自身によって細分化される。
本来は、「聞く」「読む」「話す」「書く」それぞれ重要で、順位はない。
だが、彼らは様々なる理由を用いて、順位をつける。
「面白いから」「楽しいから」「好きだから」「必要だから」ならば、プラスの感情に見える。
しかし、他の力を身につける際に、排他的な感情を持ちかねない。
この時点(彼らに目標が芽生えた時点)から、「児童・生徒の目標」と「教室での目標」を完全一致させることは不可能である。
悪いことと言いたい訳ではない。ただし、教師はふらついてはならない。
続きはまた今度ゆっくり。